高野育郎のアート・ブック・ミュージアム
ART BOOK MUSEUM

乗っている車や腕で主張する時計がセンスや知性を感じさせてしまう。
壁に飾られている絵画やリビングのテーブル・ブックも同じこと。
豊かな時間のために素晴らしい本の数々を紹介しましょう。



『ブラインズ・アンド・シャッターズ』は、おもに60年代のポップ・カルチャー・シーンをマイケル・クーパーが、日常的に記録したもので構成されている。
この超豪華本には、特別な思い入れがある。というのも、この本の制作に。いつのまにか拘わらざるをえなくなったからだ。

ある日、オフィスに国際電話がかかってきた。僕は不在だったので、ビルと名乗る男から電話があったことを伝言メモで知る。
「どこのビルだ?」「クリントンかゲーツか?」なんて軽口がオフィスで飛び交う始末。
再度の電話でローリング・ストーンズのベーシスト、ビル・ワイマンだということが判明。日本に行くから、時間をつくれという内容。
結局、来日時に、ホテル・オークラで会うことになった。

用件は、写真集をつくるから、出資しろという雲をつかむような話。僕がサポートしてきた写真家のロバート・メイプルソープやグラフィック・アーティストのキース・ヘリング達が、日本で何にでも金を出すタカノという奴がいるから相談してみろとニューヨークでいわれたとか。

内容はドラッグ中毒で急死したらしい写真家のマイケル・クーパーのスナップ・ショットが何万枚とあるから、これを作品集にして残したいというもの。
何がなにやらで、話の半分も理解してないものの、ノリというのは恐ろしいもので、うっかり了解の返事をしてしまった。さて、オーケーはしたものの、そんな資金がどこにあるものやらと遅ればせながら気付。はたとちょうど放りっぱなしになっていたカリフォルニアの家を思い出す。
米国写真界の父と呼ばれるアンセル・アダムスやエドワード・ウエストン・ファミリーの住むカーメルの家は、米国のアーティストたちと付き合うのには、絶好の場所にあったのだが、なかなか行く機会にも恵まれず手離すことにした。なにが、幸いするのか、わからないもので、想像以上の金額で売却できた。写真集を製作するには、充分の資金ができて、プロジェクトは進むことになった。
もちろん、僕が全額出資したわけではないこともつけ加えておく。

内容を知れば知るほど、日本の出版事情からは、ほど遠いもの。こんな超豪華本プロジェクトは企画にもならないだろうという無謀ともいえるもので、制作費、数億円もかける出版物に、僕は途中で青ざめた。
しかし、ストーンズきってのビジネス・センスと人脈の広さを持つ、ビル・ワイマンの熱意と戦略が効をを奏して、全世界で発売後、数ヶ月でほぼ売り切った。あてにしてなかったカリフォルニアの家も結果的には、数倍になってもどってきたようなものだった。家のこともさることながら、出版史に歴史を刻むプロジェクトに参加できたことが、僕にとっての最大の功績になった。
ビルとロバートとキースに感謝する。

写真集を製作するにあたり、マイケル・クーパーゆかりの人たちのサインが寄せられている。全て直筆。本によっては、サインの組み合わせが異なる。5000枚のプロジェクト・レター・ヘッドが何組かに別れて、世界中を飛び回った。本の編集と変わらない労力がサイン集めにも割かれた。

ミュージシャンだけでなく、アンディ・ウォーホールやデヴィット・ホックニー、ニキ・ド・サンフォールなど20世紀を代表する芸術家のポートレイトも。マイケル・クーパーの多様な交遊録もうかがえる。

ストーンズのしっかり者、ビル・ワイマンの献身的な努力もあって、この写真集は完成。ミック・ジャガーもその労に報いるかのように献辞を寄せた。
革装丁で完成させるとビル・ワイマンから聞いてはいたが、想像とはかけ離れたブック・デザインにはうなった。ダミーはオーソドックスで重厚な革表紙だったからだ。

アイテム一覧

PROFILE

グループ アム代表。1951年生まれ。雑誌『バケーション』『セブンシーズ』『アディクタム』『ロフィシャルジャポン』などの編集長、第47回全国植樹祭式典専門委員会委員長(1996年)などを歴任。2000年には、エグゼクティブ・プロデューサーとして日本アカデミー賞9部門を受賞した映画『バトル・ロワイヤル』の製作を手がけた。編集とアートの世界をベースに、商品開発・事業開発・環境開発から、広報戦略・経営戦略コンサルティングまでのデザインおよびコンセプト・ワークを手がける。現在は、“ 映画 ”の新たなメディア・システムを提唱、プロデュースを進める。